ローラーに乗り、ひとり自分との対話を楽しむという行為はとても楽しい
しかし
気の合う友と走るという行為はもっと楽しい
そういう友が私にはいる
いや、「そう思わせてくれる友」という人が
私にもいるという事を再認識したと言うべきであろう
彼との出会いはもう何年前になるのだろう
当時は自転車ではなく、自動車のコミュニティで出会ったのがなれそめだ
オフ会で知り合い、当時私の勤務する富良野のお店にも遊びに来てくれた
私は某Dの人間だが、見事に違うメーカーのユーザーであった彼は
とても心苦しそうに、恐縮しきっていたのを覚えている
私はその辺りは全く気にしない人間なので、彼のお気遣いに逆に申し訳なくさえ思えたのである
コロナ渦では考えられないだろうが、当時の親睦の深め方はズバリ「呑み」である
私が一方的に思っているだけかもしれないが、
笑いのツボやクルマへの価値観、音楽の趣味への共感等
酒を交わしつつの談笑が実に心地よいのだ
そんな男がロードバイクに乗っている事は承知していた
私がロードバイクに跨った事を伝えた時には「一緒に走ろう!」と誘ってくれてはいた
しかしなかなかどうして、タイミングが合わなかったのだ
以前UPした
の際に、実は彼と二人でチームエントリーしていたのだ
この年はDNS、翌年は雨天中止
ずっとサイクリングデートはお預けになっていたのだ
人と走るのは楽しい
これは本当だ
いつものローラーとは違うエネルギー燃焼サイクルに入るのが判る
景色も秀逸なのだ、コレこそ「EZOtional」エゾい景色である
何故か知らんがこの後に割と豪雨にヤられたりするのだが
それもまた楽しい思い出になったりするのである
この頃からであろう
私の中でロードバイクに乗る理由というモノが
単なる自分軸だけの「ダイエット目的」ぢゃないな、という実感を感じ始めていたのだ
誰かと共に走る
私には要らない要素であると思っていた
しかし、私はもっと
「いろんな人と共に走ってみたい」と思うようになってきていたのである
陰キャを自覚している自分の心の変化に
自分で軽く引いちゃってる状況
だがしかし
自分でも驚くほどポジティブな思考に
「何かを変えられるかもしれない」という期待すらしている
何年振りだろう、腕の日焼けがえらく痛い
きっと2週間後くらいには皮がべろべろ剥けるのだろう
その皮と一緒に私の心の殻もベロベロに剥がれてしまえば良い
道行くサイクリスト達と一緒に走りたい
先日逢った白髪の仙人とも一緒に走りたい
私自身の「ロードバイクに乗る理由」の変化変貌というモノを
しかと認識できた瞬間だったのかもしれない
to be continued